小説を書きたい理由

yasu Add comments
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 まだ何も完成させていないのに、こんなことを書くのもどうかと思ったけど、書きたくなったので。非常に曖昧な観念上の話なので分かりづらいかもしれないけど、頑張ってみる。もっと分かりやすく書くこともできるけど、そうすると文章がこれの数倍長くなってしまうので、こんな感じで。

 小説が好きだ、書きたいと思うように、何かが好きだ、やりたいと思うことには理由がある場合とない場合とがある。それはその対象を好きになったプロセスに左右されるわけだが、前者は単純に、「あ。好きだ」と唐突に思ってしまった場合で、後者は、僕は傾向的にこういったものが好きだから、あれも好きだ、というような理由から来る好意だ。ちなみに、前者の好意に関して言えば、何か好きなものがあるんだけど、それが何で好きなのかが分からないし、理由を挙げようと思えばぽつぽつと止めどなく挙がるけれど、そのそれぞれが必ずしもその理由とは一致しないような感覚を抱くようなものである。僕が本や人と言った総体が好きなようなもの。こう言ったものは、明確に「本とは何か」「人とは何か」と規定できないものなのではないかと感じる。そして、僕が小説を書きたい理由というのはその明確さ故なのかは分からないが、後者に当てはまる、理由から来る衝動。

 僕には夢がたくさんある。というか、誰にしもやりたいことなんてのは無限にあるだろう。そして、その中には叶えられなかった夢、抱かなかった夢なんてものもあるだろう。僕はそんな過ぎ去って行ってしまった夢を夢見る。そんな可能性の未来、あるいは過去を僕は夢見る。だが、そんな話は存外この現実に関しては不可能な話だ。人生は一度しかない。僕はその人生が一回しかないことが何よりも悔しい。僕は僕自身の人生を傑作だと言えるほど面白いものに仕立て上げようと日々を生きているわけだが、面白さというものは必ずしも一つに収束されるものではない。自分の選ぶ一つの物語に限らず、無数と面白い物語は存在している。だが、僕はそんな無数の選ばれなかった物語も経験したい。これはただの欲求だ。だが、僕は僕の欲求を実現すべく、考える。

 僕が本や人が好きな理由というのも同じなんじゃないかと思う。僕は本や人からその物語を読み取る。読み取ると同時にそれを知るということは僕自身の物語に組み入れられて、小説内小説のように僕の物語を構成することができる。そして、僕はそういった物語を堪能すると同時に、僕は僕自身がその物語を経験したとも想定する。もちろん、実際に経験しているわけではないから、そのディテールな情景や経験というものを感じることはないが、少なくとも僕はそれらを詳細に頭の中で再生することで何かを感じることができるだろう。そういった感覚から、僕が実際に経験した僕の過去もまたどんどん書き変わる。僕が実際にリアルに思ったことが、後々別の記憶が入り込むことで、僕は僕の過去に思ったことを別のものと置き換えるかもしれない。色々な過去の記憶が後付けで構成されていく。故に僕の過去というものは非常にフラジャイルなものだと日頃から言っているのだが、それを偽物だと言う人がいるかもしれない。僕は偽物の人生を送っているのか?だけど考えてみてもらいたい。偽物と本物の違いとは何だろうか?そりゃあ硬貨の真偽や、情報の真偽というものは分かるが、実際に自分の身で経験した過去こそが本物だとどうして言えるのだろうか。過去に限らずとも、僕たちの感じる今というものは、必ずしも本物だとは言い切れないだろう。では、この今感じるものこそが本物だと言うことにすると、過去は常に本物でなくなってしまう理屈になる。過去とは常に今から参照される昔のことなのだから、過去に経験したはずの今だったものというものは既に消失してしまっていて、僕たちの感じる過去というものは常に今なのだ。だから、消失してしまっているけれど、過去そのものは偽物ということになってしまうかもしれないが、今の過去という意味では、それは常に本物となるだろう。つまり、僕が過去に何をしたと、そう思うのであれば、それは常に本物の過去ということになる。

 また、それでは僕の言うことすべてが嘘八百なのではと感じるかもしれないが、嘘とは嘘を意図して伝えられる偽物であるので、単なる勘違いで伝えられる本物とは、嘘にはならないだろう。だが、人によってはその勘違いも含めた、事実と異なる話を嘘だと捉えるなら、僕は弁明しておこう。そうだ。僕は嘘吐きだ。だが、君もそうだろう?本当のことだけを語れる人間なんてのは、沈黙を守る犯罪者ぐらいのものだろう。

 本を読んだり、人とお話したりして誕生する物語もあるが、もう一点挙げられるとしたら、僕はそういった面白い物語を参考に、自分自身の物語を面白いものにとすることができる。僕が小説なんかを読むのは単なる娯楽として読んでいるのではなくて、僕自身の人生を如何に面白いものにしようかとする、参考書として読んでいるわけだ。今まで読んできた多くの小説には面白い人生を送ってきたキャラクターが多数存在する。僕はそういったキャラクターが物凄く羨ましく、その生き方というものを観察し、自分のものとしようとする。もちろん、小説とは虚構の中の物語に他ならないから、この現実とは合わない世界設定というものも多数あるが、そういったことを抜きにしても、そのキャラクター自身の生き方、考え方というものは、作家が人間として考え、キャラクターを人間として書いている点で、僕たちが人間であるように、変わらない。だから、学べるものは多いにある。

 僕はこのようにして僕自身の物語を紡いでいるが、それでもできないことが、自分の選択しない、しなかった人生を歩むということだ。僕は僕自身がイギリスに留学していた可能性というのを既に経験できないように。だが、その選択もきっと面白い物語であったのだろうと想像する。故に、僕はそれも経験したい。では、どうするか。物語にするのだ。小説を書くということだ。現実でできなかったことが何より口惜しいが、僕は書くことで、その経験できなかった僕を経験したい。書くことで、経験できなかった可能性の物語を経験したい。つまり、僕が書きたいのは僕自身であり、それは僕が何を考え、何を選択したかに限らず、僕が猫であった可能性、僕が女性であった可能性の物語を僕は描きたいわけだ。

 最後に、小説のパターンというものは既に出尽くしていて、これ以上新しい小説というものは書くことができないだろうと言われているが、僕が書きたいのは決して新しい小説なんかではなくて、単に僕自身の経験したかった面白い物語であると理解して頂ければと思う。非常に冗長的になってしまったが、結局言いたいのはこの一言であり、この一言のためにこれだけ書く必要があることに素直に驚いた。これ以上分かりやすい説明をしようとすると、もっと長くなってしまうので、そろそろ止めにしよう。

 とりあえず、夏までに僕は僕の小説を仕上げる。がんばろ。ちなみにこの文章は、保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』という本を読んでいる間に思ったことでした。読書感想文といやつ。貸してくれてありがとう!

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