君じゃないといけない必然性

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僕には一人の親友と呼べる大切な友人がいる。彼と出会ってからはもう長く、今年でもう何十年目になるのだろう。
だが、彼を本格的に友達だと意識し始めてからというと、今年で6年目となる。たった6年だが、この人間が誕生して完成するまでの20年の中で、最も、それ以降の人生を左右される十代後半という時期を彼と共に過ごせたことは僕の財産だ。

彼からの影響は計り知れない。
コンピューターを教えたのは僕だ。
だが、今では彼のほうが僕よりできるんじゃないかと戦々恐々させられる。今後も当然のように僕より凄い世界有数のハッカーとなってもらいたい。
小説を教えてくれたのは彼だ。
彼には感謝してもしきれないほどの恩を感じている。初めて薦めてくれたのは西尾維新『クビキリサイクル』。最近文庫化されたアレだ。小説という物語から得られるものを僕は数多く得てきた。視点、友人、知識、感覚。ありがとう。

だが、思う。
僕がコンピューターを教えなくとも、自ずから何処かの誰かから教わっていたかもしれない。
君から小説を教わらなくとも、自ずから何処かの誰かから教わっていたかもしれない。
君と出会わなくとも、君の代わりとなる人と出会っていたんじゃないかと。
別に、君でなくとも良かったんじゃないかと。事実、そうなのだろう。
代替可能性について論じているわけではないが、その人が誰と何と出会うかは、その人自身の持つポテンシャル、あるいは属性というものが先行して、そういったものを引き寄せているのだろう。
例えば、青色が好きで、知的になりたいと欲望していた人なんかは、自ずとそういった知的性の備わっているものに引き寄せられて、知的になるものだ。

だけど、同時に寂しいな、と思う。
寂しさとは何なのかすらよく分からないのに、ただそう感じてしまう。
僕は多様な人と会っているし、これからも会っていくのだろうけど、だけど、誰と会うべきなのかがよく分からない。例えば大学のキャンパスに訪れた際に、誰かと友達になってみようと思ったものの、誰に声をかけるべきなのかが分からないことがある。去る人は放っておくし、寄る人は受け付ける。誰でも良いっちゃあ良いわけだが、何かその人でないといけない理由を求めてしまう。同じ学校だから、隣の席に座ったから、という理由は理由足り得るのだが、見かけたから、これをその理由にできないものだろうか。
その理由というものは、生きる理由を求めるような人工物に他ならないことは明らかなのだけれど、それを求めてしまう。
それはまだ僕が幼いからだろうか。ロマンを求めてしまうからだろうか。何か物語性というものを求めてしまうからだろうか。社会的にはそれが必要とされていると思ってしまっているからだろうか。考えられる理由は多数だ。

この寂しさはどこから来るのだろう?
この寂しさは間違いなのかもしれない。僕は本当にそこに寂しさなんてものを感じているのか?自分の感情が疑わしい。
ああ。これはおそらく、理解はしているのだけど、それを言いたくない部類のテーマなのかもしれない。
自分自身を偽るための、無意識的に洗脳するための感情なのだろうか。そしてそれに気づいてしまい、アウトプットしてしまっている今の僕は、まさにそれを打破しようとしているんじゃないのか。
何のために書くのか。何のために書いているのか。書きたいから?そんなのは嘘っぱちだ。その本当の理由が僕の奥底に存在している。僕はそれを分かっている。打破だ。今の自分を肯定するための、昨日の自分の否定だ。

君であって欲しい。
こう願うのはおそらく、君と既に出会ってしまっているからだろう。
必然性というのは、出会う前からあるものではなく、出会った後に付け足されるものなのかもしれない。
別に君でなくてもいいけど、君であって欲しい。
その上で、僕を利用できるものならご自由に利用して下さい。逆に僕も君を利用できるようなら存分に利用しますよ。このスタンスであることが僕たちが親友である証なのかもしれない。

君はよく「なんで僕のように使えない人と友達でいてくれるのか」と問いかけるが、君の有用性は僕だけが感じるものであって、君自身に感じられるものではないんだよ。
逆に、こんな僕と友達でいてくれて、本当にありがとう。感謝という言葉だけでは、君ははにかむぐらいのことしかしないから、僕はこれからも君に色々なものを与えて行こうと思う。この心情にどのような意味があるかは君の視点しだいだ。君には分かると思うのだがね。
君を利用しようとしているからなのか。本当に君に何かを与えたいと思っているからなのか。与えることによって僕自身が何かを得ているからなのか。僕の有用性というものを君に感じてもらいたいからなのか。愛しているからなのか。たぶん。おそらくこれらの理由のすべては真実だろうし、考えられる理由は多数だ。

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