3 月 07
今の僕に捧ぐ――
なんだか、1年半ぐらい前の僕というのは、啓蒙書をよく嗜むような、そういう典型的な人たちに囲まれて、そういう人達の中に没入してしまい、「夢を持って生きろ」だの、「プラス思考を持て」とか、そんなあまりにも在り来たりで詰まらないことを吐くような、少なくとも今の自分にとっては面白みの欠片もない奴だった。
あの頃のメッセの過去ログなんかを見るとうんざりさせられる。一頻りにそんなことを《ロボット》と字される友人に話しかけていた。彼は古くからの僕の友人で、何事にも冷めた視線で、冷静に物事を視ることができる点を僕は高く評価している。本人は認めないけれど。
彼にいくら言い聞かせたところで、彼が感化されることはなかった。彼の疑問とはこうだ。
「何故、夢を持つことが《良いこと》だと言えるのか?」
「何故、プラス思考を持つことが《良いこと》だと言えるのか?」
全く。その通りだった。
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3 月 07
人生観(上)より続く――
http://www.crosssys.net/blog/archives/67
始まりは何時に遡るのだろう。人生とは選択である。選択肢は無数とあるが、それを最も単純化させた形が、やるかやらないか、選択するかしないかの、二者択一となる。僕たちの人生は常にこの二者択一の選択に迫られ、決断し、選択することで道を進んでいくのだろう。しかし、この選択が必ずしも自分自身によって決断されるとは限らない。それこそまさに、周りに影響されて、周りの意思によって決断される。惰性に生きるとはこういうことだ。例えば、時期が来たら高校に進学し、時期が来たら大学に進学し、また時期が来たら就職活動を始め、就職していくという流れ。それをまるで自分の意思決定のように感じている人もいるだろうが、君は本当に君の意思を持ってその流れに乗っていると言えるのだろうか?
こうした、この自分の意思と関係なく選択されてしまう可能性を問題視し、夢を持つことによってこの問題が解消されるとしたのが1年半前までの僕だが、そもそもこれを問題視すること自体正しいのだろうか? 確かにこれが問題だとすれば、その問題の解法は《良いこと》だろう。だが、そもそもこの問題が成立するのだろうか? もしもこれが問題ではなかったとしたら、どうして夢を持つことが《良いこと》だなんて言えるのだろうか? 言えないだろう。
どうして、僕は惰性に生きることを問題としたのだろう? 自分の人生を生きないことは《良くない》ことなのか? 何故、自分の人生を生きる必要がある? 何故、自分の欲望を欲望する必要がある? 他人のために自分の人生を捧げてもいいじゃないか。スティーブ・ジョブスがなんだ。他人のために生きる人生の総体を持って、自分の人生を生きているとも言えるじゃないか。
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